鳥取県西部のサイノカミ(塞ノ神)を訪ねて

郷土の歴史と民俗を歩いて調べる
鳥取県西部の石造物

所長 鳥取県西部には、西日本に限って言えば意味がわからないほどに突出して多くの双体道祖神があります。
このシリーズは、石造の道祖神に限らず祠や才ノ木、はたまた立石から自然石まで、いわゆるサイノカミと呼ばれ、民間信仰の対象として行事が行われていた(と考えられる)依り代を巡り、記録に残すことを目的としています。
参考資料として、

  • 塞神考/森納(1991)
  • 石に刻まれた祈り2/山陰歴史館(2018)
  • 淀江みちくさ手帖/白鳳の里(2014)
  • その他各自治体史など

などを使わせていただき、稀に地元の方からの聞き取りや偶然による発見も含まれる詳細を、個々のページにて解説 ⇨ こちらのページで行う考察にフィードバックする流れとなります。
それでははじめようか、ぽんきちくん!

ぽんきちくん ひとりでやってください。

鳥取県西部のサイノカミ(道祖神)

サイノカミとは何ぞや

まずサイノカミについてざっくりと触れておきます。
サイノカミ(塞ノ神)とは、日本の民間信仰において村境、道の分岐、峠、集落の入口などに祀られる神格、信仰対象の総称です。
地域によって呼び名や役割の差が大きく、具体的な一柱の神様というよりは役割名に近い存在、機能・概念神といえます。
道の神、旅の安全、村の境界守護を司る道祖神ともほぼ同一視されますが、完全に同じというわけでもありません。

鳥取県西部で見られる特色

ところが鳥取県西部(日野郡除く)では、少なくとも現在、上に書いたような境界神的な性格がほとんど無く、子供の安全、健康、結婚の世話が主なご利益とされています。
特に結婚の世話が大きなウェイトを占めるようで、性神、淫祠の側面があちこちで見られます。
今では稀になりましたが、お供え物としては、わら馬、わらつと、わらじ、足半、おだんごがあります。
このなかで、微妙な差異はあるものの概ねわら馬は未婚の男性がわらつと、わらじ、足半は未婚の女性がそれぞれお供えするもので、これらがいつ頃から始まって、なにを意味しているのかは諸説ありすぎてわけがわかりません。
少なくとも私は男性器、女性器をかたどったわら細工をお供えしていた名残ではないかと思っています。
大山町の所子など有名どころの馬には男性器が付いていますし、そもそも農村で精力を連想させる身近な動物として馬が選ばれたであろうことは想像に難くありませんから。
ごく稀に男性器そのものの細工もあります。

  • 西伯郡大山町所子のサイノカミ
    大山町所子
  • 西伯郡大山町種原の観音堂広場にあるサイノカミ
    大山町種原
  • 西伯郡大山町上萬の壹宮神社にあるサイノカミ
    大山町上萬

お祭りは12月14日の夜から翌15日早朝にかけてです。
上記お供えを持ってなるべく早い時間にサイノカミさんにお参りするのがガチンコのやつで、だんごを神体に塗り付けたり、わら馬の尻を(焼く/焼かない)、近くの木にわら馬を(吊るす/高いところへ投げ上げる/持ち帰って遊ぶ)、だんごは(半分焼いて食べる/持ち帰って雑煮に入れる)といった感じで内容はまちまち。
そもそも、ここまでやっているところはもう無いのではないでしょうか。
最後のほうでお供えの(有/無)については可能な限りまとめていますので、よかったらご覧ください。
また、情報提供心よりお待ちしております。

サイノカミさんの地域別一覧

ここから各集落の記事へ飛んでいただいて、戻ってきてはまた飛ぶという使い方を想定しています。
各ページで解説する依り代のサイズについては…

超大型
重機が必要なレベル。いったいどうやって動かしたんだろう…
大型
櫓を組むなどそれなりの準備をすれば、地面から浮かせる事ぐらいはできそう
中型
若い衆が2、3人で囲めば、地面から浮かせる事ぐらいはできそう
小型
若い衆が1人で持ち上げることができそう

このような基準で注記を行っています。
各家に持ち回りする事が主機能であったり、逆に半ば文化になっていた感すらあるサイノカミ盗みへの対策としての巨大化など、持ち運びの(簡単/難しい)が重要だと考えたからです。
ちなみにサイノカミ盗みなんて、昔ならともかく今は普通に犯罪ですし、バチも当たるかもしれません。
盗難ダメ絶対!
それではどうぞ。

米子市 日野川より西側

米子市 日野川より東側

米子市 淀江町

日吉津村

西伯郡大山町

西伯郡大山町(旧 名和町)

西伯郡伯耆町(旧岸本町)

西伯郡伯耆町(旧溝口町)

西伯郡南部町(旧西伯町)

西伯郡南部町(旧会見町)

類似の図案を集めてみよう!

ある程度データが集まってきて、そして何度も記事を書き直すため写真とにらめっこをしていると面白いもので、似たような図案というのが見えてきます。
あからさまなものからデフォルメしてあって気づきにくいものまで様々です。
サイノカミの起源を知ろうとするうえで、双体道祖神やサイノキの分布も大きな手がかりではありますが、この図案での切り口も興味深いもので、思ったとおりその分布に偏りが見えてきます。
地図というか散布図を提示するのは活動がもっと進んでからにしようとは思うものの、取り敢えずそのソックリ具合を見て楽しむのも一興ですので以下列挙いたします。
分類名については特に典拠があるわけではなく思いつきで決めています。
これといった特徴をあげづらいものについては多く見られる地域や代表的な依り代のある地区の名前をとってみたりもしています。
ですので今後コロコロ名前が変わるかもしれません。
あしからず。
それではどうぞ。

烏帽子タイプ

安永五年申、県内で確認されている最も古い道祖神が含まれるグループです。

  • 男神の頭に三角形の何かが乗っている
  • 正面向きの立像
  • 三頭身程度とデフォルメが強い

またバリエーションとして、

  • 女神の髪型はおかっぱが古く、男神と同じ三角、またそれらの中間も見られる
  • 女神の所持品は扇が多く次に神楽鈴が多い
  • ラケットのようなものを所持しているケースもあるが、神楽鈴のディテールを廃したものではないかと思われる(しゃもじかと思った)

以上のような特徴があります。

烏帽子(丸彫り)タイプ

丸彫りであるという以外の特徴を列挙すると、不思議なことに上記の烏帽子タイプと一致するグループです。
立体的に見ると、烏帽子と言うよりは「うっかり八兵衛」で有名な置き手ぬぐいの形状に近いことが分かります。
そして手ぬぐいを置いた男神の形状が恐らく意図的に陽石(ち〇こ)のように見える事から、もしかするとこちらの方が原型に近いのかもしれません。
とても興味深いグループです。

冠タイプ

烏帽子タイプのバリエーションかと思っていましたが、数が多くなりそうなので分けてみました。

  • 男神の被り物が三角ではなく冠である
  • 頭が小さい(デフォルメが弱い)

それ以外は烏帽子グループと共通しています。
また下でまとめる「淀江タイプ」との中間ではないかという印象も受けます。

淀江タイプ

今のところ淀江町で多くみられるので淀江タイプとしました。
調査範囲が広がったら名前を変えるかもしれません。

  • 正面を向いた立像である
  • 頭が小さくリアルな絵柄が多い
  • 女神同様、男神も長髪で首の線が見えないので、シルエットだけになるとコーラの瓶に見える

以上のような特徴があります。

墓下タイプ

冠タイプの図案は正面を向いた立像でしたが、ちょうどそれを斜め向かいあわせにするとこの墓下タイプになります。

  • 斜め向かいあわせの立像である
  • 男神は笏を所持しており冠を頂いている
  • 打って変わって女神の方はミステリアスな風貌

以上のような特徴があります。
意識して探してみると意外な程たくさんあったこのグループの中で、最も鮮明であったのが淀江町西原九区墓下の路地にある依り代でしたので、便宜的に墓下タイプとしました。
そうでなくとも女神の風貌がやや不吉な印象を受ける依り代もあり、黄泉の国の伊邪那美命ではないかと思ったりした時期もありましたのでわりと言い得て妙だったかもしれません。
オカメ、すなわち天鈿女命っぽい依り代もあります。

横向きタイプ

座像。
向かって右の男神が正面、左の女神が右または右斜め前を向いています。
男女神共に所持品が不明であることが多いが、まれに女神が何かを捧げ持っている図案が見つかる。
淀江以西には見られない。

猫背タイプ

兎にも角にも猫背です。
その他の特徴として、

  • 男神の鉢巻
  • 女神はおかっぱであることが多い
  • 男女神共に袂(たもと)が長い

などといった特徴を持っています。
1件だけ剃髪であるように見える依り代があり、双体仏とするかどうか迷ったのですが、念のため双体石造物とボカシておきます。
どちらが原型に近いのかは何とも言えません。

北斎タイプ

ズバリ葛飾北斎の北斎漫画/五編に登場する猿田彦太神と天𦥑女命をそのまま再現した図案です。

  • 鼻高の猿田彦が両手で大幣を振り上げている
  • お多福顔の天鈿女命が振り返っている
  • 天鈿女命は右手に神楽鈴、左肩に大幣を担いでいる

などの特徴があります。

おだんごタイプ

杖タイプ

猿田彦タイプ

大幣タイプ

おっ〇いタイプ

仲良しタイプ

サイノカミ行事の衰退と近年の復活

12月14日の夜から翌15日にかけて、だんごやわら細工をサイノカミさんにお供えしに行く行事は、現在ほとんどの場所で行われていません。
調査の中でお会いした方々のお話しや、様々な資料を総合すると、概ね 昭和の中頃を境 にして急速に廃れていったことがわかります。

衰退の一般的な要因

一般的な要因として、

少子高齢化・過疎化による担い手不足

全国的な少子高齢化や過疎化により、行事を維持するための人手(特に若者や子どもの数)が不足。
塞の神の火祭り(どんど焼きなど)は、本来は集落の男子や子どもたちが中心となって準備や運営を行うものだったが、その主役となる層が減少したことで継続が困難になっている。

都市化と場所の確保の困難

  • 場所の消失:伝統的に村境や辻に祀られていた塞の神の石碑が、道路整備や宅地開発によって撤去・移設された。
  • 火祭りの制限:大規模な火を焚く行事は、住宅密集地では火災の危険性や煙への苦情により、実施が厳しく制限されている。

信仰観の変容

かつては「疫病や悪霊が村に侵入するのを防ぐ」という切実な守護神として信仰されていたが、医学の発展や科学的な考え方の普及により、災いを「外部からくる悪霊」のせいにする観念が薄れた。

価値観の多様化とコミュニティの変質

地元の商店街の衰退や、住民同士の結びつきが弱まったことで、地域一丸となって伝統を守る意識が希薄化。
共同体としての連帯感を確認する場であった祭礼の役割が、現代のライフスタイルに合わなくなったことも影響。

などがあげられます。
塞神考で森氏は

  1. 明治以降の淫祠邪教排除政策
  2. 農業事情の変化に伴う農地整理、道路改修、農道造成による路傍の神仏排除
  3. 戦後の農地解放に続く農山村の経済安定
  4. 民間知識の向上からくる古来の民俗的習慣よりの脱却、医療の普及からくる民間信仰への不信
  5. 道路交通の発展
  6. 家族関係の変化、かつては神仏祭祀を司っていた老人の地位低下

などを原因としてあげておられます。
なるほどどれも納得できる理由ばかりですが、令和6年末、米子市福市のご老人から決定的なお話をお聞きすることができました。

直接的な要因~GHQ指示による生活改善普及事業

福市のご老人からお聞きしたお話。
それが、GHQの指示により実施された農村の民主化を目指した運動、すなわち生活改善普及事業の影響であったというものです。
昭和23年から開始された生活改善普及事業は徐々に全国的な広がりをみせ、福市では昭和30年代後半からサイノカミ祭りだけでなく、子供トンド、猪子さんなどが廃止されてゆきました。
このように書くと、まるで外圧により日本の伝統的な文化が衰退したかのように見えますが、そういった面ばかりではなく、過重労働を強いられていた女性の負担を軽減することができたという重要な成果もあったのです。
当事者であったご老人も好意的に語っておられました。
他の地域でも同時多発的にこれらの行事が廃れていったのは、まさに同じような理由からだったのではないでしょうか。

現在行われているサイノカミ行事の状況

このような衰退の流れがあるなかで、サイノカミ祭りが根強く継続している地域、更には奇跡の復活を遂げた地域もあります。
たとえば上記、衰退の理由をお聞かせ下さった福市のご老人は、ご自身が立役者の一人となり、令和6年末にとうとうサイノカミ祭りを復活なさいました。
さすがに鳥取県西部全域の状況をリアルタイムで網羅することはできませんが、私が実際に確認した行事について以下ご紹介します。
わら馬、わらじ、わらつと、お団子のどれかが供えてあった場合に、サイノカミだと明確に意識して行われた行事だと判断しています。
ここでもやっているよ~!
やってるの見たよ~!
というお知らせも心よりお待ちいたしております。

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